さくらは新潟で産まれた。
ちょうど沖縄から横浜へ引越しをしている最中だった。僕たちは沖縄から一時的に新潟の千晶の実家へ住まわせてもらい、その日を待った。
暑い沖縄で授かった子供が雪の新潟で産まれてくるのだ。さくらはにとってはさぞや驚きだったことだろう。僕たちの不安とか期待とか、そんないろんな感情の入り混じった分娩室のベッドの上で、彼女は誕生した。
いちばん最初に彼女が聞いた声は、きっと号泣する春音の声だったんじゃないだろうか。春音ははじめてみる母親の「命を生み出す」姿に、胸をつまらせて泣いた。僕も泣いた。うれしかったり驚いたりほっとしたりで、あの時はみんな泣いていた。
出産はすごい。結婚によって生まれた家族が出産によってひとつの形に納まりを見せるのだ。肉親という言葉がすんなりと受け入れられるようになる。まさに肉を分かつ瞬間がそこにはある。
さくらの季節に生まれたからさくら。安直なといわれてしまえば確かにそうだけれど、そのくらいに大きな、そして直接的なインパクトだった。まさに春が来た、そのくらい単純な喜びである。
そして新しい暮らしが始まる
産まれたばかりのさくらと家族を新潟に置いて、僕は一足先に横浜に向かった。そういえば4月からは会社員なのだ。この前まで沖縄で3人家族だったのが新潟で4人に増え、そして僕は今ひとりぼっちで横浜にいる。めまぐるしすぎてなにがなんだかわからないですね。
新しいアパートの部屋は僕一人にはもちろん広すぎた。隣の部屋には上品な老夫婦が住んでいて、僕たちも将来こうなりたいなと思った。新しい暮らしは、僕たちを巻き込みながらいつのまにか動き出していた。
横浜のアパートでひとり、僕は新潟の雪を想像した。沖縄のごつごつした石灰岩を想像した。どっちも遠くにあるはずなのに、はっきりと思い出すことができがた。横浜は春だった。うぐいすが鳴いていた。春という季節は場所によって、人によってまったく違う季節になるのだなと思った。
今年の春もまた、特別な春になるのだろうか。